善福寺の歴史 ご本尊と真言の紹介 真言宗とは
役行者とは 修験道とは お寺の御参りの仕方
役行者霊蹟札所







善福寺の詳細は不詳なれど江戸時代には現在の桜本坊の所にあったという古文書を
「金峯山寺編纂(きんぷせんじへんさん)された首藤善樹(しゅどうよしき)先生が見つけて下さいました。
庫裡(くり)前の土中に焦土が有り過去帳も集六の万治年代よりしかなく
現在地に移ってから火事でも起こしたのかもと思われます。

本尊は瑠璃光薬師如来(るりこうやくしにょらい)、脇佛(わきぶつ)は不動明王(ふどうみょうおう)、蔵王権現(ざおうごんげん)、役行者(えんのぎょうじゃ)、宗祖(しゅうそ)弘法大師(こうぼうだいし)、その他霊験灼かなる聖天、三宝荒神(さんぽうこうじん)、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)の 三大障礙神(さんだいしょうげいじん)、境内には常山鎮守(とうざんちんじゅ)(清願龍王(せいがんりゅうおう)、貴久姫龍女(きくひめりょうにょ)失せ物出現で有名な北向大青面金剛夜叉明王(きたむきだいしょうめんこんごうやしゃみょうおう)、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)三界萬霊(さんかいばんれい)を供養する宝篋印塔(ほうきょういんとう)が祀られています。

戦後諸々の事情から修験本宗金峯山寺(しゅげんほんしゅうきんぷせんじ)末寺として宗教活動をして参りましたが、
平成9年に50数年振りに高野山真言宗に復帰して現在に至っています。

明治政府の悪法(あくほう)廃佛毀釈(はいぶつきしゃく*)の折殆どの寺院が潰されていった中で善福寺は、回向寺院(えこうじいん)の為残り、時の住職川勝教嶽師(かわかつきょうがくし)の奔走により、洞川地区との裁判の結果、吉野山に大峯山護持院(おおみねさんごじいん)の権利が6分残ったことは、余りにも有名な故事であり歴史上當山の誇りとするところでもございます。
教嶽師のみならず歴代住職の意志を受け継いで法燈(ほうとう)を護り続けてゆく所存です。


*廃仏毀釈とは…
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2009年12月21日(月)12:48(UTC)
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當山庫裡の裏の谷を降りた所にある杉の木の所に小さき井戸があります。神武天皇東征の砌(みぎ)り三本足の八咫カラスと共に宇陀(うだ)迄道案をしたという吉野首(おびと)井光(いびかり/井氷鹿/いひか)が住んでいた賢穴式の住居跡と傅説があります。

古事記にも日本書紀にも書かれており吉野神話の基(もとい)でございます。